2007-05-28

TOJ07: Stage 6-7: Summary

えー、先に写真だけあげたけど、11th Tour of Japan、ステージ 6、ステージ 7 を観戦してまいりました。

Stage 6: 伊豆ステージ: 修善寺駅 - 日本サイクルスポーツセンター周回コース 128.5km

11th TOJ 07: Stage 6: Shuzen-Ji, Izu
週間予報では天気が危惧されたけど、連れが晴れ男のおかげでピーカン♪

スタート地点からの観戦ではなく、集団が周回コースに入るころを見計らって CSC に入る。どうやら通常のコースを逆回りにしてレースしている模様。自転車を持ち込んだけど、コースの脇に道がなく、ほとんど活躍することはなかった。次に観に行くときにはなくてもいいかも。逆に歩きやすい靴のが活躍すると思う。

周回コースは平坦部分がまったくなく、下りでも踏まないとちぎられると云われる難コース。一度走ってみたいな (一周で満腹になりそうな気がするけどw

今期、ラバネロのジャージのデザインが変わっていた。色遣いが Slipstream みたい。

レース中盤、新城が単独アタックし、追走 Konica Minolta の 2 人に康司がぶら下がるという場面があった。巧く運べれば康司が新城に追いついて逃げ切れるかも? と期待に興奮する。

結局逃げはつぶされて、そこから抜け出した Chris Froome (KEN, Team Konica Minolta) が独走し、ステージを獲る。2 位争いは集団スプリントになるんだけど、なんと美濃ステージでの落車で肩を脱臼した宮沢崇史が 4 位に入る。帰り路、目の前をコミッセールの車が走っていた。

行きも帰りもパンチョー氏に運転していただいて、自分は居眠りをぶっこいてしまった。本来であれば話し相手になって眠気覚ましにならなければならないのに。

霞ヶ関で首都高を降りて、日比谷で降ろしてもらう。自転車を組み立てると、明日の日比谷から大井までのコースをトレースする。じつは昨年日比谷でスタートを見たあと、選手を追いかけるということをしてみたのだけれども、道に迷ってしまった。んで、今年はぬかりなく前日に試走。日の落ちた倉庫街を走るのは、ドキドキした。でかいトラックがかすめていくし、路面は割れたガラスやら金属片やらが飛散していた。と、へんなコンビニ発見。

Stage 7: 東京ステージ: 日比谷 - 大井周回コース 148.9km

11th TOJ 07: Stage 7: Hibiya - Ohi, Tokyo
日比谷まで自走。日比谷でパンチョー氏と待ち合わせ。マイミクさんのひとりと初めてお会いできた。毎年スタートを観てから選手を追っかけるんだけど、今年はスタート前に増上寺の門の前を通過する集団をフレームに納めるべく、増上寺前に移動。集団通過後、追っかけるw 旧海岸通で交通規制が解除され、信号にひっかかる。その後も追走集団 (w) が形成されて追っかけるものの、パンチョー氏とも会ったばかりのマイミクさんともはぐれてしまった。大井の周回コースで再会できるのだけど。

観戦中、件のマイミクさんの自転車セレブとの交友関係の広さ、ディープさに舌を巻く。機材もお詳しいのですね。オレなんかメカのことダメダメなのに。

あ、またへんなコンビニ発見。

レース終盤、日本人選手 10 名、SouthAustraria.com の選手 2 名の計 12 名の逃げが形成され、集団から 40-50 秒の差をつけて周回を重ねる。にっぽこめいたんからは新城幸也と福島康司が入っていた。集団は総合リーダー Francesco Masciarelli (ITA) 擁する Acqua e Sapone - Caffe Mokambo が終始牽き続ける。そのすぐうしろにつけるのは Team Konica Minolta がかたまり、そのうしろには Kazakhstan National Team がつけていた。牽き続ける Acqua e Sapone が疲弊してくるのを待っているよう。

残り 3 周ほどになると、逃げ集団を康司がずっと頭を下げたまま牽く、牽く、牽く…。周回してゴール前にかえってきてもまだ康司が牽いている。これは同じ逃げ集団に入っているチームメイト、新城幸也のため。正直云って——オレみたいな素人が云うのもアレだけど——康司ひとりが牽きすぎなんじゃないかと思った。他の逃げメンバーはなにをやっているんだと思った。と、ゴール前数 km 地点で「SouthAustralia.com の選手が飛び出した!! 日本人選手は…、誰も追わない!!」と実況。ゴール前に集結した観客からは落胆の声。実況によると、SouthAustralia.com は、スプリンターである Miles Olman を逃げ集団に残して、チームメイトの Sean Finning が飛び出した模様。アタックが成功すれば、Finning が、スプリントにもつれ込んだら Olman がゴールを獲るという完璧な作戦。実況曰く、「日本人選手は康司が追うだろうと思いこんでしまったのかも知れない。」観客のあきらめムードのなか飛び込んできたのは赤白のジャージ、実況が「さあゴールスプリント、新城かっ、新城かっ、新城だーっ!!」と絶叫。ゴール前は興奮の渦。当日の様子を書き留めた blog を徘徊すると、先行する Finning を追いはじめたのは、なんとあれだけ牽き倒した康司。たまらず Olman を含めた他チーム数名も追いかけはじめる。追走は先行した Finning を捲り、その中の康司は最後の力を振り絞って新城を発射、最後は 4、5 名のスプリントとなる。このなかには Olman も含まれていた。SouthAustralia.com チームサイトにある、Olman のプロフィールを見ると、トラックも含めて若いながらも輝かしい戦歴。そんな強豪を振り切ってもぎ取った勝利。いやー、ええもん見せてもらった。先頭のゴールに続いて集団がなだれ込んできた。もう先行の集団は吸収されかけていたんだな。

先行の集団とのタイム差から、総合を確実にした Acqua e Sapone は集団を牽くのを止め、代わりに Kazakhstan と Konica Minolta が追っていた模様。

最終日東京ステージを日本人が征したのは Tour of Japan 11 年の歴史の中で初めてのことだそう。
→ 2002 年、7th TOJ の東京ステージで鈴木真理選手が勝っています。
当日、サッシャも観戦していたらしく、ゴールシーンは彼の撮った動画のほうが公式のよりもよく撮れていてたw

表彰式後、新城選手のインタヴューから心に残った言葉をいくつか

「『ツール・ド・フランスをめざしてるだけじゃないか』と云われないように、結果を残していきますので、応援してください」
「お父さんが観にきてくれたレースでは負けたことがないんです」→お父さま紹介、会場からお父さまへも拍手

遠方よりはるばる息子の晴れ舞台を観に上京し、息子は期待に応えて勝利、表彰台からそんなカタチで紹介された父親はうれしいやら誇らしいやらでしょう。やべ、書きながら泣けてきたw

総合には絡めなかったものの、にっぽこめいたんの勝利にはじまり、勝利に終えた 11th Tour of Japan でありました。

次の現地観戦 (Japan Cup?) までにすること
  • 5 年前のデジカメには見切りをつけて、新しいカメラを買うこと
  • 周回コースのあるレースにはストップウォッチを持っていくこと。実況がなくても逃げと集団との間隔が計れて、展開が読みやすい
  • スタートリストの入手後は、ゼッケン番号と選手の照合。できれば暗記

1 件のコメント:

  1. ゴール前の展開はちがったみたい。南豪の選手はアタックしたのと集団に残ったのは逆で、はじめに追い出したのは康司選手じゃなくてアンカーの選手で、集団に残った南豪の選手は先頭に追いつかず、アタックした選手が新城選手とスプリントしたんだって。

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