2008-10-12

3 Days Off: Day 1

この 3 連休じゃなくて、先週の話。

この 3 連休が暦どおりとれなそうだったので、たまっていた代休を消化すべく、3 〜 5 日の三連休とした。当初は 3 日から 4 日まで茅野〜浜松の秋葉街道をまったりツーリングして、5 日にメイク・ア・ウィッシュ・チャリティライド in 静岡に参加するつもりだった。けど諸事情により秋葉街道がソロライドに (泣 予定を茅野〜浜松を 1 日で走りきり、翌日をチャリティライドスタート地点、清水への移動日に充てた。来る埼玉スーパーアタックの練習も兼ねて。

7:00 に茅野に着いて、輪行解除して今晩泊まらせてもらうくーぽん (このあいだの千葉 200km をいっしょに走った) へのおみやげの信玄餅を買ってとモタモタしていたら 8:00 近くなってしまった。1,000m 級の峠を 4 つも越える (とはいっても海抜 0 スタートじゃないけど) 200km のロングライドに出かけるのにこんな時間にスタートしてはいけない。

この路はいつか来た路の甲州街道を渡って、杖突き街道へ。ウォームアップなしでいきなり登坂。坂の多い文京区在住とはいえ、骨のある峠まではすくなくとも 40km は平地を走らなければいけない生活に慣れていると、このシチュエイションはちと効いた。

ぐいぐい登っていくと、あっというまに茅野の街ははるか下方へ。写真撮影と称して足つきしながら登っていく。

もうそろそろ峠だろうというところまで来ると、展望台が見えた。



翌日 batchanBongo さんたちがおなじルートを走ったみたいだけど、むこうは夜行で来て夜明けまえにスタートだったみたいで、ここはさっさとスルーしちゃったみたい。

山の日陰側はまだはじまっていなかったけど、峠の向こう側は秋の色に染まりはじめていた。



高遠の街までは秋のやわらかな陽のなかをダウンヒル。でもやっぱり風は冷たい。しっかりしたウインドブレイカーを持ってきておいてよかった。でもグローブが指切りだったのは失敗だった。

高遠の街でみかけたヤマザキショップ。これが茅野〜浜松天竜二俣間の最初で最後のコンビニだった。

この街では長野県宝の「旧馬島家住宅」なるものを気まぐれで見学した。




江戸の時代に城に仕えた医者の家で、平成 14 年まで、ほんの 6 年まえまで馬島家のひとが住んでいたとのこと。城に仕えていたとはいえ、一般のひとたちも診ていた。ただし、一般の患者が受付、待合室を経て診察室にたどり着くのに対して、侍専用の玄関は診察室に直接設けられ、待つことなくすぐに診察が受けられた。侍にこうした優遇があったのはたんに階級の差だけではなくて、クリティカルなシチュエイションが多かったという事情があったのかもしれない。この家には一般用、侍用の玄関のほかに、家のひとがつかうための玄関、勝手口と計 4 つの出入り口があった。

家はひとが住んでいると朽ちることはない。ひとが住みやすいように管理され、保存されていた。いまは住むひとがなく、朽ちるままになっている母親の実家に想いを馳せる。

係員のかたはたったひとりの見学者にとても丁寧に案内してくださった。ちかくに「旧池上家」というこちらは商家の住宅があるとおしえてくださったけど、こんな序盤に 1 時間以上も居座ってしまって、まだこれから 150km 以上走らなければならないと伝え、丁重にお断りした。

秋葉街道は山も川も楽しめる路だった。川のせせらぎは夏に出会うと一服の清涼剤となるけど、秋のやわらかな陽光がきらきらとかがやく水面もまた美しかった。




おそらく南下するコースで陽に向かって走るので、照り返しが眼に飛び込んできてよけいにそう感じたのかも知れない。でもダム好きにはたまらない天竜川は日没後に通ることになってしまったのだけれども。やっぱり 2 日にわけてゆっくりと走るべきだった。

そして磁場ゼロとよばれる「パワースポット」(よくわからない。えらい高い水を売っていた) や、駒ヶ根への分岐となる中沢峠を経て分杭峠へ。

そういえばこの分杭峠にたどりつくまでにやたらと GPS の電波が乱れた。磁場ゼロが影響しているのか? このエントリーの最後に貼ってある地図はそのログをもとにしたものだけれども、乱れた個所は差し引いている。

分杭峠をくだってるとえらく腹がへってきた。時計を見るともう昼だった。ずいぶんのんびりしてしまった。鹿塩の道の駅に転がり込んで、鹿焼き肉定食を食べた。このあとの行程、補給ポイントの少なさを考慮すると不安な量だったけど、ほかにめぼしいものもなかったので水だけ補給して出発。この判断がのちに泣きを見ることに。

そして本日 3 つめ峠、地蔵峠へ。秋葉街道はきほんてきに国道 152 号なんだけれども、この写真の場所でいったん途切れる。登りもここがピークではなくて、林道をさらに登る。聞くところによると、地盤がゆるすぎて、国道として道を通せないのだとか。この標識のわきにはほんとうのお地蔵さまがいた。このあとの旅の安全を祈願した。

秋葉街道はその名が体を表しているように、紅葉が美しいらしいけれども、さすがにこの時期ではまだ早すぎた。これからぎゅーっと寒くなると、突然山が燃えるように紅く染まるんだろうなあ。

この先 batchan や Bongo さんたちはしらびそ高原へ向かったようだけれども、7 はパスしてしまった。宿題を出されたので、また走らなければ。次回こそ紅葉の時季に!!

そして南信濃和田を経て本日最後の峠、兵越峠へ。青崩峠を越えていくのが秋葉街道の本来の路だけど、その名が示す通り崩落がひどく、日本の優れた技術を持ってしても舗装路もトンネルもつくれないらしい。これから向かう兵越峠にトンネルを掘って、そちらを R152 とする計画もあるらしい。でも逆に云えば、トンネルが通っていないおかげで物流関係のトラックが通らず、自転車が走りやすい路と云えるのかもしれない。

そしていままでの峠の中ではいちばんキツい斜度、そして楽しめた兵越峠。鹿にも遭遇した。毎年 10 月に (今月だ!) 信州軍と遠州軍が国盗り綱引きを行い、「国境」を決めているらしい。

そしてこの兵越峠を越えるともう浜松市である。いわゆる「大合併」のせいだろう。

この時点で全行程の 3/5 地点。もう陽は山の向こうに落ちかかっている。でもこれからは峠はなく、海抜 0 へ向けてくだり基調。それでも天竜川に入るまえ、水窪町あたりで日没をむかえてしまった。今年からはじめたブルベのためにそろえた L2D 2 灯を点け、ヘルメットに PETZL を着けた。BRM531 沼津 600km のコースへの合流地点ではすっかり暗くなってしまった。

そして天竜川沿いは街灯がまったくなく、漆黒の闇の中を走らされた。L2D も PETZL の光もその闇の中に染み入ってしまった。幸いなことに、そこそこの交通量があって、車のヘッドライトには助けられた。対向車のハイビームには眩んでしまうことがあったけれども。

BRM531 といえば、天竜二俣に PC3 として利用したサークル K 天竜山東店までがんばろうと云うヘンなこだわりがあった。兵越峠を越えた時点ですでに補給食は底をついていた。くだり基調ということでナメていたけれども、ほぼハンガーノック状態。サークル K までの距離感もおかしくなっていた。

サークル K では重めのものを食べて、食べたものが吸収されるよう、休憩も長めにとった。ゴールはすぐそこだけれども。

今日のゴールは浜松駅ではなくて、スーパー銭湯の極楽湯。ゴールは 21:00 まえだった。今夜の宿を提供してくれるくーぽんに連絡すると、仕事が終わったばかりにもかかわらず駆けつけてくれて、いっしょに風呂に入った。

その後近所の串焼き屋で再会と完走の祝杯をあげて就寝。くーぽんは信玄餅を知らなかった。全国区で有名なおみやげだと思ったんだけどなあ。

遊びにいくことを告げたのも宿をお願いしたのも数日まえだったのに、快諾してくれたくーぽんに感謝だ。ほんとうにありがとう。


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