この 3 連休が暦どおりとれなそうだったので、たまっていた代休を消化すべく、3 〜 5 日の三連休とした。当初は 3 日から 4 日まで茅野〜浜松の秋葉街道をまったりツーリングして、5 日にメイク・ア・ウィッシュ・チャリティライド in 静岡に参加するつもりだった。けど諸事情により秋葉街道がソロライドに (泣 予定を茅野〜浜松を 1 日で走りきり、翌日をチャリティライドスタート地点、清水への移動日に充てた。来る埼玉スーパーアタックの練習も兼ねて。



もうそろそろ峠だろうというところまで来ると、展望台が見えた。



翌日 batchan と Bongo さんたちがおなじルートを走ったみたいだけど、むこうは夜行で来て夜明けまえにスタートだったみたいで、ここはさっさとスルーしちゃったみたい。
山の日陰側はまだはじまっていなかったけど、峠の向こう側は秋の色に染まりはじめていた。



高遠の街でみかけたヤマザキショップ。これが茅野〜浜松天竜二俣間の最初で最後のコンビニだった。
この街では長野県宝の「旧馬島家住宅」なるものを気まぐれで見学した。






江戸の時代に城に仕えた医者の家で、平成 14 年まで、ほんの 6 年まえまで馬島家のひとが住んでいたとのこと。城に仕えていたとはいえ、一般のひとたちも診ていた。ただし、一般の患者が受付、待合室を経て診察室にたどり着くのに対して、侍専用の玄関は診察室に直接設けられ、待つことなくすぐに診察が受けられた。侍にこうした優遇があったのはたんに階級の差だけではなくて、クリティカルなシチュエイションが多かったという事情があったのかもしれない。この家には一般用、侍用の玄関のほかに、家のひとがつかうための玄関、勝手口と計 4 つの出入り口があった。
家はひとが住んでいると朽ちることはない。ひとが住みやすいように管理され、保存されていた。いまは住むひとがなく、朽ちるままになっている母親の実家に想いを馳せる。
係員のかたはたったひとりの見学者にとても丁寧に案内してくださった。ちかくに「旧池上家」というこちらは商家の住宅があるとおしえてくださったけど、こんな序盤に 1 時間以上も居座ってしまって、まだこれから 150km 以上走らなければならないと伝え、丁重にお断りした。
秋葉街道は山も川も楽しめる路だった。川のせせらぎは夏に出会うと一服の清涼剤となるけど、秋のやわらかな陽光がきらきらとかがやく水面もまた美しかった。




おそらく南下するコースで陽に向かって走るので、照り返しが眼に飛び込んできてよけいにそう感じたのかも知れない。でもダム好きにはたまらない天竜川は日没後に通ることになってしまったのだけれども。やっぱり 2 日にわけてゆっくりと走るべきだった。

そういえばこの分杭峠にたどりつくまでにやたらと GPS の電波が乱れた。磁場ゼロが影響しているのか? このエントリーの最後に貼ってある地図はそのログをもとにしたものだけれども、乱れた個所は差し引いている。



この先 batchan や Bongo さんたちはしらびそ高原へ向かったようだけれども、7 はパスしてしまった。宿題を出されたので、また走らなければ。次回こそ紅葉の時季に!!


そしてこの兵越峠を越えるともう浜松市である。いわゆる「大合併」のせいだろう。

そして天竜川沿いは街灯がまったくなく、漆黒の闇の中を走らされた。L2D も PETZL の光もその闇の中に染み入ってしまった。幸いなことに、そこそこの交通量があって、車のヘッドライトには助けられた。対向車のハイビームには眩んでしまうことがあったけれども。

サークル K では重めのものを食べて、食べたものが吸収されるよう、休憩も長めにとった。ゴールはすぐそこだけれども。

その後近所の串焼き屋で再会と完走の祝杯をあげて就寝。くーぽんは信玄餅を知らなかった。全国区で有名なおみやげだと思ったんだけどなあ。
遊びにいくことを告げたのも宿をお願いしたのも数日まえだったのに、快諾してくれたくーぽんに感謝だ。ほんとうにありがとう。
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