2013-11-08

1st B-day

イメトレ。1 歳の誕生日て初めての誕生日ていうのかな。それとも生まれた日が初めての誕生日で、1 歳の誕生日は 2 回目の誕生日なのかな。

ともかく息子が 1 歳の誕生日を迎えた。

1 年まえの Twilog を眺めてみると、予定日を 1 週間以上超過し、ずいぶん焦らされている様子がうかがえる。産院の方針により、予定日を 1 週間超過すると入院させられ、陣痛促進剤を投薬させられる。あくまで自然分娩を希望していた妻には残念なことであったと思う。

しかし無事に生まれてくれた。仕事のきりのいいタイミングで生まれてきてくれたおかげで立ち会うこともできた。母(息子にとっては祖母)や妹(同じく叔母)も誕生直後に会うことができた。

入院中は毎日産院を訪れ、新生児室のガラス越しに息子を眺めた。長いことおなかの中にいたせいか大きめに生まれた。新生児室のどの子よりも大きかったことを誇らしく思った。

1 日に 2 回、それぞれ 30 分だけあるパパだっこタイムがたのしみだった。その時間に起きていないこともあったが、触れ合えるだけで充分幸せだった。小さな小さなあくび、くしゃみ、げっぷまでが愛おしい。20ml や 40ml でおなかがいっぱいになってしまう小さな胃袋。いまや離乳食を 200g 食べたうえにミルクを追加で飲んでいる。1 年で胃袋が 15 倍に膨らむなんて、大人にしたらたいへんなことである。

退院までが待ち遠しかった。はやくいっしょに生活がしたい。風呂はオレが入れてやるんだ。退院当日は晴れてはいたがとても寒い日だった。なれない抱っこひもで慎重に慎重に抱きかかえて、厚着をさせておくるみでくるんで、タクシーを呼んで帰った。

しばらくは目も見えていないし、耳も聞こえていない。話しかけても反応はないし、寝返りをうつこともできない。昼夜問わず数時間おきに授乳、おむつ交換…。どこに愛情を注げばいいのか見失ってしまうお母さんが出てくるのもうなずける。そういった心を支えるのも夫の仕事なのだなあ。

4 月からの妻の職場復帰を迎えるにあたって、保育園入園の審査にもドキドキした。そういえばじぶんも保育園だったが、年子の弟が同じ保育園に入れず、両親はそれぞれの保育園に送り迎えしつつ通勤をしていた。区役所で申請のときに、希望している保育園の 24 年度 0 歳児の入園実績を聴いたら、45 名の希望者中入れたのは 6 名。聞きしに勝る狭き門だったが、幸い希望の保育園に入園することができた。

めでたく妻の職場復帰かと思いきや、何度も熱を出しては呼び出し、会社を休まなければならない場面に遭遇した。発熱も 38〜39 ℃はざらで、40 ℃に達することも珍しくはなかった。保育園に通わせるとある程度は仕方のないことらしい。

妻は妊娠から出産、この 1 年間の日毎に変わる育児に対して、たくさんのものを犠牲にしてくれて向きあってくれた。その献身にはただただ感謝するばかりである。また、贈りものやお下がりを頂いた友人たち、電車や駅で席やエレベーターを譲ってくれた名も知らない通りすがりの方々の優しさにも感謝。

この子が 1 歳の誕生日を迎えられたことを祝うとともに、周りの方たちの優しさにも大きな感謝をしたい。ありがとう。

写真は誕生前、イメージトレーニングの図。

2013-02-17

リキさんと甥姪と子育てのこと

先週亡くなった実家のわんこ、リキさんが 14 日に葬儀を終えたということなので、手を合わせに実家に行った。リキさんは、もともと実家の近所に住む老夫婦の飼い犬だったけれども、ご夫婦が施設に入られるということで引き取ったわんこ。実家に来た時点ですでに 10 歳。とても賢い柴犬で、ふだんの散歩でも前のルートを覚えていたらしく、途中とちゅうで前のルートに戻ろうすることがあったらしい。もとのご主人の人柄か、躾もゆきとどいていたとのこと。そんなリキさんも晩年は痴呆がはじまり、徘徊や無駄吠えがあった。そんななかでも妹をはじめ、実家の家族にはたいそう愛されて、幸せな生涯だったんじゃないかな。

今日は家族を代表して俺だけで実家へ行った。と、弟の子どもたち 4 人が遊びに来ていた。上は 10 歳、下は 3 歳の姉弟だけで来たとのこと。

以前から母親(彼らからしたら祖母)から「あの子たちは親がいないところでは豹変する」と聞いていたけれども、今日初めてその姿を目の当たりにした。弟もその嫁もわりと子どもたちを厳しくしつけており、正月などで集合しているときは 4 人とも比較的いい子にしているので、ゆきとどいているなー、うちはあんな風にできるのかなー、なんて思っていた。ところが今日会った彼らはフリーダムそのものw まー子どもらしいこと。

躾の難しさを目の当たりにした。いくらじぶんの目の前では満足いっているように見えても、目の届かないところではそうでもないことがあり得るのだと。「うちの子に限ってそんなことをするはずがありません」と言ってしまう親がいるのも、いまだったらよくわかる。

我々は先輩に恵まれている。いろいろな例を前もって見させてもらえるだけで覚悟ができる。子育てにはきっと正解なんてないのだろうけれども、どんなことがあっても凹んでなんかいられないということが前もってわかったのは収穫である。

帰り際に末っ子(17kg)をハンドルバーに乗せて走ってみた。数メートルほどをおっかなびっくり。まつみさんを乗せて疾走できる Stijn さんハンパねーな。

往路は R15 → R1 だったけど、復路の R15 は六郷橋の車道が自転車走行禁止なので R1 で。千鳥町からはこのあいだナカさんの大森カーレオフでおしえてもらった池上通りの裏道で。狭いけど信号も少ないし、バスも通っていないし、路面店がないから車の出入りもないので快適。いい道をおそわった。

2012-12-31

2012 Summary

2 月に入籍し、8 月には居を大森に移し、11 月には長男の誕生と、プライベートが大きく変化した年でした。

とくに長男の誕生は生活に大きな変化をもたらしました。

結婚のときによく「ひとつの家族となって」なんていいますが、入籍のときよりも子をもってから 3 人でひとつなんだと強く実感しました。やっぱり子育てはたいへんです。妻も産後まもなくは体力も戻っていませんから、子どもだけでなく妻の体調も気遣わなければなりませんでした。そんなことも知りませんでした。子育てはどちらかひとりでなんてとてもできませんが、ふたりならなんとかなるかも知れないと思えます。どちらかが疲れたときには、片方が代わってあげられます。我々夫婦は、息子というエースが飛び出すそのときまで、先頭交代を繰り返し、向かい風には矢面になって護らなくてはならないのです。そう、我々家族はひとつのチームなのです。

自転車生活的には、BRM は入籍直後に夫婦で走ったオダックス埼玉のアタック安中 200km を完走し、VCR 青葉の道志みち 200km、オダックス埼玉のアタック日光東照宮 300km をソロで走って 3 本のみでした。PBP2011 で変更されたデザインのメダルは 2 つしかゲットできませんでした。ただ、今年は初めてフレッシュに参加し、チームいちご大福として完走することができました。

ただやっぱり育児に関わっていくと、今後自転車との関わり方は変わっていくかも知れません。ひとついえるのは、育児おもしれーな、です。みんなオレに黙ってこんな楽しいことしてやがったのか、です。

まもなく年が変わりますが、2013 年も家族ともどもよろしくお願いします。

2012-11-09

It’s a Boy!

Footprint日付は変わってしまいましたが、2012 年 11 月 8 日 19:59、3510g の大きめの男の子が元気な産声をあげました。当初は女の子ともいわれていましたが、まあ立派なもんです。

予定日は 10 月 29 日、じつに 10 日遅れ。産院は予定日から 1 週間超過すると自動的に入院させられ、陣痛促進剤による処置をする方針。促進剤をつかっても 4 日目でやっと陣痛がきたという例があると他人ごとのようにきいていましたが、自分のところがその例に入ってしまいました。

自然分娩をつよく希望していた妻にはたいへんなプレッシャーだったと思います。よく我慢しました。

4 日目の夕方までに強い陣痛がこなければ帝王切開の可能性がかなり高いと聞かされていましたが、16:00 ごろ「激痛が来た」とメイル。ちょうどそのころお袋がお見舞いのため産院に到着。連絡係をかってでてくれました。お産は日付が変わってからだろうという話だったので、のんびりかまえていました。18:00 まえに職場を離脱。同時くらいに破水。18:30 ころ産院着。助産師さんから「21:00 までには生まれるでしょう」と急展開。「立会いますか?」ときかれ「もちろん」と即答。分娩室に入ってから 1 時間、予定日からずいぶん待たされましたが、母子ともに健康、無事に生まれてきてくれました。

妊娠がわかってからも強いつわりもなく、とても順調に経過していました。妊娠がわかったのは入籍直後だったのですが、入籍翌日にはおなかに赤ちゃんがいるにもかかわらず BRM226 アタック安中 200km を夫婦で走ってしまっていました。

入院してからは予定日を大幅に超過していることや、今後の処置について不安な表情を見せることが多くなっていた妻が、分娩がおわってみると血色はよくないもののとても穏やかな表情をしていたのに救われました。よくいわれることですが、夫にできることはほんとうに少ないです。ただただそばにいてあげて、希望をきいてあげることだけです。

昨日までは他人の子ばかりだった新生児室をのぞいてみます。ふつうの親なら「うちの子がいちばんかわいい」とか曰うとこなのでしょうけど、「うちの子がいちばんでけえ」。

息子の足形を肴に、ひとり祝杯をあげる。乾杯。その日は病院に泊まることはできず、帰宅しました。3 人家族で暮らすには谷中の部屋は狭かったので、8 月に引き払って大森に住まいを移しました。ひとりにはちょと広くて寒いですが、息子の足形を肴にしてひとり祝杯をあげます。

ホッとしましたが、ようやくスタートラインに立ったところです。親としての夢は家族でフレッシュのチームを組むことですが、この子が自分で見つけた興味のあることを応援できたらと思います。

応援してくれたみなさま、心配してくれたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

2012-03-21

BRM318: 道志みち 200km: ゴール 600m 手前で捕まった

BRM2012 の 2 本めは、VCR 青葉の道志みち 200km。2008 年に初めて走ったブルベ、 AJ 神奈川の青葉 200km と似たコース。



今回嫁は体調不良のため DNS。久々のおひとりさまブルベ。「セブンあいついっつもおにゃのこに合わせて走ってる風けど、ひとりで走らせてもたいしたことないじゃん」とか云われそうで gkbr

6:00 あざみ野スタートなので、輪行では間に合わない。4 年前とおなじように R246 で 30km ほど自走。3:30 自宅出走。まだ夜の真っ最中の六本木を通り抜ける。ハイテンションのガイジンとまだ寒いのに肌を見せたおにゃのこたちを横目に走り抜ける。4 年前は六本木の交差点で信号待ちをしていると、おかまさんに「あらかっこいい、いいカラダしてるのね」と身体を触られた。

5:00 すぎにスタート地点到着。雨予報にもかかわらず、すでに十数名のランドヌールが到着していた。真っ先に声をかけていただいたのは J さん。PBP2011 完走者。オフィシャルベストが眩しい。イーチョさんマモさんもいらしていた。みのいちさんは先週試走して今日はスタッフ。よろしくです。

ブリーフィングもそこそこに、車検を受けてスタート。GPS のログをみると 5:40 すぎにスタートしている。ずいぶんフライング気味だった模様。

青葉区役所前の広い県道を抜け、鶴見川沿いを走る。このあたりは 4 年前にはなかったコース。いちぶダート区間を抜けて藤の木の小田急線の踏切へ。開かないw 上り下り 2 本づつ計 4 本待ったw パリ=ルーベのボーネンの気分。馬駆交差点を右折し、4 年前は直進したところを県道に沿って左折、4 年前の復路に入る。なんとなく集団ができたので中段くらいにいたらうしろから「セブンさん」と。terra さんでした。速い速い terra さんとおなじ集団にいていいのでしょうか。宮原交差点を右折して串川橋への登りにはいったところであっさりちぎらる orz

ひーこらいいながら PC1 に到着。ここは去年のアタック三保の最終 PC だった。まだ新しいセブンイレブンらしく GPS の地図データ上にはなく、500m ほどまちがえていたw そろそろ出ようかな、というところでイーチョさん到着。ここでマモさんはお見送りだけで、出走していないことを聞かされる。てっきりいっしょに走るのかと。

入籍のごたごたで走れず、すっかり登れなくなった脚にむちうって道志みちを登る。なまった脚にいくら鞭打ったところで登れないものは登れない。後続の参加者にバンバン抜かれる。アタック三保で PIKA_NEW さんが応援にきてくれていた PC1 のデイリーヤマザキはなくなっていた。 そして下がってくる気温。暖かくなる予報だったのに。登っているのに。そして補給ミスによるハンガーノック。足をついて嫁が買っておいたくれた薄皮あんぱんをパクつく。

トンネルを抜けるまえから雪国ですた。ようやく山伏峠。トンネルを抜けるまえから雪国ですた。経験上山中湖側のほうが寒いので、ここでウインドブレイカーを着こむ。道志みちに入る前に脱いでいたウインターカラーで鼻のうえまで覆う。が、意外なことに暖かい。構えていたぶん拍子抜け。むしろ道志側のほうが寒かったんじゃなかろか。ゴール後 terra さんは「手元の温度計で 3℃だった」とおっしゃっていた。

道志みちのダメージは深刻で、山中湖湖畔マリモ通りのちょっとした小山すらインナーでひーこら登る。ゴール後聞いた話では、この往路で明神前の交差点を直進してしまい、山中湖を一周したのちに正規コースにもどった方がいらしたそうだ。

今回は折り返しブルベ。そろそろ先頭とすれ違うかなーと思ったら、折り返しの PC2 手前 8km で先頭と、6km 手前で terra さんとすれ違った。

と、本格的におなかがすいてきた。富士吉田でうどんでも食べるかな。アタック三保で見かけて、こんど来るときは入ってみようと思ったうどん屋さんを探しながら走る。走る。走る。あれ? 富士急ハイランドに着いちゃったよ。脚もまわりはじめちゃったので、そのいきおいで PC2 へ。

PC2 でカップラーメンをすすっていると、この寒いのに袖をまくったランドヌールが到着。たけさんでしたw グローブも指切りっすかw 開口一番、「あったかいっすね」w

そろそろ出発しよっかなというところでまたイーチョさん到着。むむ、やっぱり速い。タレてくる後半にほんとうに追いつかれるかも。PC をでる頃には雨が降りはじめていた。「DNF して輪行して帰るなら富士急だよなー」と思いながら本宿の交差点を通過。旧鎌倉往還の斜度の緩い登りでもタレる。単独練習中と思われる女性ロードレーサーにサワヤカに「こんにちはー」と挨拶されながらパスされる orz

7:00 スタートのランドヌールとすれ違うたびに挨拶。山中湖湖畔ではゆんさんが満面の笑みで「セブンさーん」と手を振ってくれた。回らない脚と雨で気分がロウになっていたけど、えらい元気が出た。なんなんだろうね、これ。

山伏を越えて道志側は寒かったよな、と再度ウインターカラーを鼻のうえまであげて、耳も覆う。自宅から持ってきたカイロを腰のあたりに貼る。これがよかった。わりと薄着で出走しちゃったけど、凍えずに済んだ。この雨は山伏を越えて道志側は止んでいるかも知れないという淡い期待はもろくも崩れ去り、依然降っていた。しかも霧が出てきている。視界も路面もよくなくて、かせげるくだりでも飛ばせない。それに道志みちはくだりでも登り返しがあったりして楽ができない。でもこの雨中走行で、なまっていた身体の中で眠っていた何かが目覚めた気がする。やぱブルベの醍醐味の一つは雨中走行だよね。

PC1 とおなじセブンイレブンの PC3 到着。まもなくしてたけさん「長袖も持ってるよー♪」と到着w 雨降りだすの予報よりも早かったすねなどと話していると、7:00 スタートだった eijitom さんが到着。速w 今回のブルベのテーマのひとつに、1 時間後に出走する速い速いかずいさんに「ブルベモンスター」と云わしめた eijitom さんから逃げきること。ところが 44km 手前で追いつかれてしまった。安中で見忘れた eijitom さんの新車を拝見。アンカー RNC7。クロモリ。かっこよす。日本の工業製品にしては珍しくセクシーだと思う。艶かしいというか艶やかというか。

ここでたけさんが「速いひとって汚れないですよね。ひとも自転車も」。たしかにじぶんのスーパーコルサとくらべても eijitom さんの RNC7 は汚れていない。おなじ雨の中おなじ道を走っているのに。

と、eijitom さんが店内にはいったところで逃げるように PC3 を離脱。のこりの距離は 50km を切っている。この先は市街地にはいって信号も多いし、これからの時間帯は渋滞も起こる。まだ eijitom さんから逃げ切れるチャンスはある!! といままでブルベの終盤にはないくらい踏む(当社比)。

今回のブルベでしたかったことがもうひとつ。今回のコースは、先日開催された NAHBS で Best of Show と Presdent’s Choice の二冠を獲った CHERUBIM さんの近くを通る。もしかしたら実車が帰ってきてるかも知れない!! 見れるかも!! でも身体も自転車もこの雨でドロドロだし、うしろからは eijitom さんが迫ってきているしで今回は断念。やぱなにかのついでなんてダメだよね。身を清めて、襟を正して見に行かないと。自走で。

市街地に入るとやっぱり信号と渋滞につかまる。こと後ろをふりかえり振り返り、渋滞の車列や狭い歩道を歩く歩行者に接触しないように、濡れた路面やグレーチングでスリップしないように神経を尖らせて走る。気分はカンチェの 2 分前に出走したタイムトライアル選手w

青葉区役所の広く長い県道に出た。市ヶ尾高校東交差点で信号に捕まったときに後ろを振り返ると、ふたつほど向こうの信号に点滅する自転車のライトが見える。「eijitom さんじゃないよな。さっき追い越したほかのランドヌールに違いない」と信じこませて最後の住宅街の急坂を踏む。桜並木を越えて、最後のキューポイント、あざみ野二丁目交差点で信号待ちをしていると、「追いついたー」と聞き覚えのある声。

捕まった。

eijitom さんだった。ゴール手前 600m。200km 走ってきてゴール 600m 手前で追いつかれた。気分はフラムルージュを通過したあとにプロトンに捕まったイグナチエフやシャバネルの気分。もう「.@eijitom さんから逃げ切ったぜ!ぜ!ぜ!ぜ!」とツイートする内容まで決めていたのに捕まった。

悔しかったけど楽しかった。

ゴールのローソンでは 9 円のうまい棒でチェックをしてジョナサンでゴール処理へ。嫁が電車でお出迎えに来てくれていた。terra さんはすでに食事も済まされていた。速い。じぶんの記録は 10h36m。この天候、このコース、現状の脚の鈍り具合のワリにはタイム的には上出来。立ち寄りポイントはぜんぶスルーしちゃったけど。

ひとしりき参加者のみなさまとアフターブルベの談笑を楽しむ。VCR 青葉の K 藤さんもゴールして、おなじテーブルで食事をされたので結婚のご報告。K 藤さんのコース、沼津〜軽井沢で初めて話したんですよ、と話したら「じゃあ紹介料をもらわなくちゃな」だって。席が離れちゃってお話しできなかったけど、おいちゃんもお出迎えにきてくれていた。参加者じゃなくても苦楽を知っているひとにこうして出迎えてもらえるとうれしいね。ファミレスでゴール処理をする青葉だからこういうことができるのかも。

輪行袋を持ってきていなかったので、雨の中 R246 を自走して帰宅。本日の走行距離は 265km だった。

つぎのブルベは BRM324 アタック日光東照宮を 7:00 スタートです。スタッフのみなさま、参加されるみなさま、どぞよろしくです。

2012-02-27

BRM226 アタック安中

結婚後初のブルベを 2 人で走った。オダックス埼玉主催の BRM226 アタック安中。



おなじコースは 3 年前に走ったことがある。当時の名前はアタック横川だった。往路の松郷のくだりで、凍結した路面で落車して、血だらけで走りきったほろ苦い思い出のあるブルベ。

おなじ 8:00 スタートの atkamano さん、eijitom さん、gaku さん、keita さん、koganei3 さん、もぐさん、らっし〜さんとご挨拶。

嫁は新しい姓で出走することができた。スタッフのみなさま、お手数をおかけします <(_ _)>

1 月後半から 2 月の初めまではわりと走りこめていたのだけれども、結婚も間近になってくるとなかなか走りに行く時間がとれない。けっきょく 2 週間以上も自転車にまったくまたがることなく当日を迎えてしまう。

PC1 までの松郷と定峰はひじょうにゆっくりとだけれども、省エネ走行でダメージをのこさずにこなせた。3 年前の落車の記憶もあるけど、新婚早々嫁に怪我をさせるわけにはいかないので、くだりは慎重に慎重に下る。しかし往路の向かい風と PC2 までの細かなアップダウンにどんどん脚を削られていく。

3 年前はアタック釜飯と別名がついていたとおり、折り返しの PC2 から 3km 先の横川のおぎのやで釜飯を食すというのが最大のミッションだった。今回は往路のダメージが深刻で、精神的に 3km が異様に遠く感じてしまったので釜飯は断念。gaku さんはミッションコンプリートしたようですがw

さて復路は追い風のうえに下り基調。調子ぶっこいて飛ばしていたら、群馬の冷気にお腹を冷やされてしまう。あわててコース上のコンビニトイレに駆け込み、間一髪でオトナの尊厳を守ることができた。

と嫁のリアホイールから異音が。わりと速めの巡航速度(35km/h くらい?)で脚を止めると、整備不良のブレーキのような音が鳴る。その振動もかなり伝わってくるらしい。脚をまわしていれば鳴らないらしい。なるべく脚を止めないように走ったみたいだけど、たいへんだったみたい。

なんとなく GRANDPRIX 4000s の剥がれたケブラーがスプロケットのあいだに入り込んじゃったんじゃないかなーと想像。GRANDPRIX 4000s はいいタイヤなんだけど、これがよくないよねー。気がつくとプーリーに絡みついていたりするし。

追記:翌日嫁がなるしまに持ち込んだところ、フリーのオイル切れだそうな。

這々の体でゴール。記録は 12h04m。ゆうパークおごせには 39mizuho さんがお出迎えにきてくれて、写真も撮っていただいた→

つぎのブルベは VCR 青葉の BRM318 道志みち 200 の予定です。出走のみなさま、どうぞよろしくです。

2012-02-25

結婚しました

1 年以上放置していた blog の更新です。

と、春を先取りのエントリーです。just married.私 se7en こと佐々木淳はモカ姉さんと結婚しました。

思えば出逢ったのはブルベ、初デートは湘南の masa さんの伊豆半島一周倶楽部の 320km を一気に走り切るクラブ活動と、自転車がとりもつ縁でした。その後も 2009 年の 1000km ブルベのアタック秋田をはじめとして、たくさんのブルベを走りました。

その後同棲をはじめ、1 年半ほどして入籍となりました。とくに生活が変わるわけではありませんが、指輪をつくったり、もろもろの手続きをしたり、自分の姓に相手の名前が続いているのを目のあたりにすると、その幸せを実感するのであります。

Twitter では先に宣誓しましたが、健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、死がふたりを分かつまでモカちゃんを愛しモカちゃんを敬いモカちゃんを慰めを助けることを誓うのであります。

新婚夫婦というには若干歳を重ねたふたりでありますが、夫婦としては新人であります。ですが、幸いなことにふたりの周りにはお手本とすべきステキな夫婦に恵まれています。我々が築く家庭も、手本となるような幸せなものにすること目指すのであります。

モカちゃんの「入籍なう」の Tweet からたくさんのお祝いの Tweet をいただきました。今日はあいにくの天気でしたが、持て余した自転車クラスタからたくさんの祝福をいただいて、自転車乗りとしては絶好の入籍日和でした。

入籍日を今日 2 月 25 日にしたのはわけがあります。7 の誕生日が 9 月 3 日、モカちゃんの誕生日が 8 月 25 日と近く、「イベントが近くなりすぎないほうがいいよねー」ということで半年ずらしました。でもよく考えたらバレンタインデイとホワイトデイの真ん中になっちゃいましたw

モカちゃんの呼称はまだ確定しておらず、嫁、妻、家内、細君…しばらくブレる予定です。

さて、明日は BRM226 アタック安中を 8:00 に出走します。夫婦初めての共同作業がブルベというのも、我々らしくていいのではないでしょうか。出走されるみなさま、どうぞよろしくおねがいします。